昔ながらの「梅干し」は100年たっても腐らない!?~梅干しの話

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今では春の代表的な花といえば桜ですが、それより以前は春といえば梅の花でした。中国ではかなり古い時代から栽培されていて、食用、薬用、観賞用にと様々に活用されていたそうで、日本に伝わったのは弥生時代のこと。日本に渡来して以降、大陸文化をまねた上流階級の人たちの間で、春に梅の花を愛でることが流行。邸宅の庭に立派な梅の木があることが、高貴な身分を表すステイタスだったのだそうです。平安時代の学者、政治家だった菅原道真も庭に梅の木を植え、大切に愛でていました。政治の陰謀によって太宰府に下る際に、詠んだのが「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春を忘るな」という歌。学問の神様として菅原道真を祀る全国の天満宮に、梅の木で有名なところが多いのは、そのような理由からのようです。

 

梅干しの王様、和歌山生まれの「南高梅」

観賞用の梅は「花梅」、食用として栽培される梅は「実梅」として改良されてきました。日本の実梅の生産量第1位は和歌山県で、全国生産の6割以上(平成25年・農林水産統計)を占めており、第2位の群馬県はわずかに5%。和歌山県みなべ町が発祥といわれる「南高梅」は高級梅として流通しています。梅は果実の重さが10g以下の小梅、10~25gの中梅、25g以上の大梅というように大きさによって3つに分けられますが、南高梅は粒が大きな中梅~大梅で果実がやわらか。梅干しや梅酒に加工されます。梅干しは表面の様子が老人の顔に刻まれたシワのように見えることから長寿のシンボルとされ、贈答品としても喜ばれるのだそう。ちなみに、この梅が南高梅と呼ばれるようになったのは、南高梅の開発に尽力した「南部高等学校」の教諭と生徒たちに敬意を表し、当時南部高等学校を「南高」と呼んでいたことから「南高梅」と名付けられたと言われています。

 

梅干しができるまで

梅干しは完熟した梅の果実をまず塩漬けにして、その後干して作る漬物です。物事がちょうどいいことを「いい塩梅(あんばい)だ」と表現しますが、これは梅干しを作る時の塩加減がいいと、美味しい梅干しができることからきています。最近は塩分控えめの「減塩梅干し」もありますが、これは干した梅を一旦水に浸けて、塩抜きをして作るのだそうです。減塩の梅干しは塩分が少なくなるので、一般的に賞味期限が短くなります。梅干しは防腐効果が高く保存性の高い食べ物で、伝統的な作り方で浸けてきちんと保存すれば、100年前の梅干しでも食べられるのだそうです。最近は添加物を加えた梅干しも多いそうです。手間はかかりますが、昔ながらの手作りの梅干しにチャレンジしてみるのもいいかもしれませんね。

 

 

この作品は、2011年6月号『はんど&はあと』P33の記事を編集/加筆したものです。転載、記事のコピーはご遠慮ください。

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